東北ボランティア、気仙沼市に行ってきました〜。(東日本大震災生活支援協会LSAのボランティアバスに乗って)


ずっと参加したいと考えていた東北のボランティア。
有休もらっている今月に、ようやく参加することができました。
見たこと、考えたこと、忘れっぽい自分用メモとしても、レポートを書いておきたいと思います。


募金はしてましたが、ボランティアはたぶん人生初めて。
想像と現場は、いろいろ違うのだろうな…と、思いをめぐらせつつも、
とにかく一度参加して、それからまた考えたい、そんなかんじでのぞみました。


※あいからず記事がやたーら長いので、写真(40枚)見るだけでもいいと思います><
重要そうなのは太字とかにします。


もくじ
★出発編
★ボランティア活動1日目
★ボランティア活動2日目
★感想とか



★出発編


11月2日(水)
たしか宮城県HPあたりから検索して、↓にたどり着く。
ボランティアバス - 東日本大震災生活支援協会LSA


1泊3日、参加費7000円のボランティアバスツアー。少し検討したのちに申込み。
メールで入金の案内が届いたので、同日に振込み。



11月4日(金)
メールで、出発の最終案内が届く。活動内容は、当日現地でないとわからないみたい。



11月7日(月) 22時頃 横浜駅東口
集合場所にいたけど、そういや主催者の連絡先メモするの忘れた;
それっぽい人を探してたらなんとなく見つかりました^^;
いつもは定員20名のボランティアバスらしいですが、
今回は6名しか集まらなかったので、ワンボックスカーで向かいます。
行き先は、宮城県気仙沼市のボランティアセンター。


横浜から3名、東京から3名が加わる。
女2名、男4名で、なんかみんな若い!!Σ(°Д°;
(最初、ボク以外みんな20代か?と思ったけど、それは違ったみたい)
ボランティアって、おじさんおばさんが多いかと思ったらそうでもなかった。
ちなみにボランティア経験は、3回目1名、2回目1名、初参加4名、でした。


あとで気づいたのですが、気仙沼市岩手県に近いですね。
横浜〜気仙沼 は、530kmほど。(Googleマップで計測) 長旅がはじまります。。



11月8日(火) 未明
行く途中は寝ればいいか、、…と思っていたのですが、
車内が人と荷物で狭いし、初対面の人とくっついていて、ほとんど寝れなかった…Orz
1時間に1回くらい、休憩で停車した。
「ちょっと休みます。。」と言われて1時間以上の仮眠タイムになったりも。
たぶん、ボランティアセンターが朝9時から開始するので、時間調整なのだと思う。
もちろん長距離だし、ドライバーさんにはこまめに休んでほしい。


朝食をすませて、目的地のボランティアセンターへ。
直前で田舎道が渋滞気味で、到着がギリギリになり、そこから少しバタバタした。



★ボランティア活動1日目


11月8日(火) 9時頃
他からもボランティアのグループが到着しており、みんなを合計して、
作業ごとに人員を再編する。
朝礼みたいなのやってるんだけど、この時点で、これからどう動くのか自分にはさっぱりわからない;
ここで着替えるのか、どのくらい自分の荷物もってくのか、買っておいた昼食をもってくのか…。
朝礼はすっぽかして、着替えて、水・昼食とかビニール袋につめこんで、
最後に残った作業にみんなで一緒にエントリーして、
知らない人たちと合流して20名くらいの集団になり、バスで現場に向かいます。。
「泥のかき出し」をするみたいだ。



作業現場へ向かうバスから街を見ていて、
「あ、被害ってそうでもないのかな…。。」
と思ったけど、フツーの街の景色から、いきなり激変した。
テレビで何度も見た、破壊された街の景色になってしまった…。(あとで写真を載せます)


現場に到着。場所は↓のあたり。
Googleマップ


作業は、「側溝にたまった泥をかき出す」こと。↓はお昼休みに撮った写真です。




これだけ見ると、ちょろい仕事に見えるけど、作業前は、
側溝の中もフタの上も泥で埋もれてて、雑草が生えてて、そもそも側溝があるように見えなかった。


たかだか3mくらいの泥をかき出すだけでもけっこうな労力がいる。予想以上に疲れました;
泥というか、小さい岩石みたいのやら、鉄っぽいもの、パイプ、なんかの部品?など、
わけのわからないモノがいっぱい出てくる…。


僕らボランティアの活動する時間は、せいぜい4時間しかない。
こんなに遠出してきてたったそれだけ。
だから短い時間内で急いでやろうと思うのだけど、
現地の60代の方は、そうは言わない。
「休みながら、ほどよくやってくれればいい。。」と。


たしかにこの作業、べつに急がなければいけないものでもない。
現場の方にしてみれば、今日できなかったら明日でもかまわないだろう。


一緒に作業にあたったのは、兵庫から来られた団体。
何度も参加されており、阪神大震災があったところ、さすがに手馴れてるかんじです。



では、、休憩時などに撮った写真を載せてきます↓




左側に、現場まで乗ってきたマイクロバス。




デジタル一眼に、オートフォーカスができなくなるトラブル発生><;
マニュアルで対応してみるものの、ピントがめちゃくちゃ…>< (途中からとりあえず直りました;




積み上げられた車の山。あちこちで見かけました。




ドラッグストア?、みたいなかんじですが。




中を少し掲載させてもらいます。
やはり近づくのは怖いです。こちらはヘルメットも装備していません;




作業現場から、徒歩2〜3分のところ。
船って、もう全て海に戻されたのかと勘違いしていました…。




電線が復旧していますが、この船は海に戻す予定あるのでしょうか…?
ちなみに車の通行量はわりと多く、信号はないのでなかなか反対側に渡れなかったり。




お昼休み中。道路の向こう側も少し作業しました。
作業するそばを、どでかいトラックが頻繁に通るので、ひかれないように注意が必要です。




泥の中から、硯(すずり)が出てきました。
黒く焦げた?電話の子機もありました。そういえばこの辺り一帯は、火事になった場所だったように思います。
他にも、湯のみとか、写真のようなものとか、生活の一部のようなものもあたりに落ちています。



11月8日(火) 14時頃
泥出し作業は完了! しばらくまったりタイムです。。





拠点のボランティアセンターに戻ります。。



センターに戻ったら、焼きイモいただきました^^
女性陣が積極的にいろいろな人と交流してたのが印象的。
ボランティアって、「作業」というよりも、「交流」の要素の方が大きい感じもしますね。
見知らぬ人同士が集まって、チームになって、活動していくチカラ。まああたりまえでしょうけど。。


ボランティアバスのワンボックスに戻る。
宿泊施設の近くの温泉に連れてっていただき、女湯と男湯が竹で仕切られたアニメでありがちないいかんじの20代女子の声が丸聞こえ /////▽///// なシーンがあったりとか、ダイヤル式の電話機があったりとか、そこでオリンパスのニュース見たりとか。
宿泊施設での互いの自己紹介でへえ〜…と興味をそそられ、政治・行政の議論にうんざりしたりして、1日目を終える、のであった。



★ボランティア活動2日目


11月9日(水) 7時頃



宿泊した岩手県一関市の公民館。ネット(イーモバイル)はつながらなかった。
片付けをして出発です。


さて、2日目ですが、ちょっと手違いがあったみたいで、やる活動がないのでしたw
1日目のボランティアセンターがお休みだったのです。
そこで、主催者の方に奔走いただいて、主催者の方が支援されている
仮設住宅や老人介護グループホームなどを回ることになりました。


センターが休みだったこと、ボランティア参加が少数だったので、そんなことができました。
むしろいろいろ見れて勉強になったと思います。。




山の中の畑にある仮設住宅
切り倒してある木を運ぶお手伝いをしましたが、20分くらいで終了。この日の活動はこれでオシマイ。
ぶっちゃけ、かなりヒマを持て余してきたので、自分は写真を撮ることにします。



被災された家屋の見学に、気仙沼湾の方に移動します。
場所は↓のあたりです。
Googleマップ




このあたりは、無事な家屋と、そうでないのと、入り交じっているかんじです。




中がめちゃくちゃなままの家屋や商店もあります。
すぐ近くに仮設の銭湯があります。(たしか無料だったような) 16〜17時は女性専用タイムです。







海までほんとに近い。そして海だと思えないくらい、水面はプールのように穏やか。





被災された方から、みかんとお菓子をもらっちゃいました^^
ちょっとお話を聞いて見学させてもらっただけで、何もしてなかったですけど;



移動します。1日目の作業現場近くです。




あんな支えでよく数多くの余震に耐えているなあと、不思議に思います…。










震災時に自分がここにいたら、死んでただろうなとも思いました。



11月9日(水) 12時頃



ボランティアセンターにほど近い、ハローワークのそばです。ヒマなので写真撮ってます。




バッタ!




セイタカアワダチソウじゃないでしょうか? 曇り空もいいコントラストになったみたい。



さて、気仙沼湾の方に戻って、お昼ごはん。
魚市場っぽい土産屋に、寿司・海鮮レストランみたいなとこでした。お土産もちょこっと買いました^^



また移動。
こんどは別の、海のそばの仮設住宅へ。
住人のおばちゃんから、たくさんお話を聞きました。(おばちゃんが一方的に話しまくってたというか…w)
2日目のメインはこれだったかもしれない。


仮設住宅には、3回目の抽選、最後にようやく入れたそうで。
しかしせっかく入れた仮設住宅も海側とは…かわいそうな気もします。
満潮時には、道が冠水して孤島になるとか。
他に仮設用の土地がないから仕方ないのでしょうけど…。


代替地に家を建てることも検討されたみたいですが、高齢であり、
家を建てることに貯金を使ってしまうとその後の生活が心配で、その決断は難しいようです。


さらに、いずれ仮設から引越すときには、今度は自費になるから困る…と言われたので、


僕 「引越しならボランティアでできるんじゃないですか?
おばちゃん 「ほんとにきてくれるの!?
僕 「ぇ…… (°▽°;


となってしまいましたがw
でも主催者さんが引越しを引き受けると言ってくださって、
おばちゃんは不安がなくなったと、明るくよろこんでましたよ^^


おばちゃんの仮設のご自宅におじゃまして、コーヒーをご馳走になり、さらにお話を聞きました。
仮設住宅に入ったのも初めてです。


4畳半に、キッチン・トイレ・バス。
装備はそれなりだけど、やはりやや手狭なかんじ。
しかもご夫婦2人でここで生活はかなりきつい;
いくら夫婦でも毎日顔つき合わせるとイヤになるってw
ついにはダンボールで仕切りをつけたとかww (それ避難所w


…と笑いを取りながらも話はつづいていく。ひとつひとつが興味深かった。
この8ヶ月間、たくさんの苦労されたのが伝わってきた。
戦後よりもつらいと言われてた。(物資がなかったことについて)


一番心に刺さったのが、この先の見えない生活に対し、
わたしも一緒に流されてしまえばよかったのかなあ…
と言われたこと。


予想してなかったわけじゃないけど、言ってほしくない言葉だった。
あんなに悲惨な災害だったのに、津波に流された方がましだなんて…。


何をたのしみにのこりの人生を生きたらいいのだろうか…。
答えはでないし、考えてたらどんどん暗くなってしまいそうだ。



11月9日(水) 16時頃


移動です。東京・横浜に帰ります。





津波でやられた地域で復活したガソリンスタンド。
主催者さんはここで満タンにしていくことを心がけてるそうです。
そう、復活しても利用者がいなければ続かない。


帰路の途中で、南三陸町にも寄ってくださった。
あの、最後まで防災無線で避難を呼びかけた…庁舎も見えた。遠くから見ただけだけど、そのままでした。



11月9日(水) 23時頃


東京・横浜に到着。知り合ったみんなともさよなら^^ノシ
あんまり仲良くなったってほどじゃないけど、海外経験の多い人もいて、なかなかおもしろかった。



★感想とか


今回のボランティア、活動自体は大したことじゃないと思うけど、
個人的にはとても勉強になった。主催者さんへの感謝は尽きません。
一応、1人7000円払ってるけど、こんな金額じゃ主催側にとって全然割りに合わないと思う。
主催者さんは、震災直後から支援活動をされていて、多くの困難にも負けずがんばり続けている。自分にはとてもできないことだ。


一方、ボランティアの内容については、実際どうなんだろう?と考える面はあった。
1日目の泥のかき出しにしたって、ぶっちゃけ、あれは必要だったのだろうかとも思った。
あの地域、再開発する際にはどうなるのだろう? あの側溝、そのまま使うのだろうか。


復興の方針ってまだ決まってないんでしたっけ。
車窓から見た景色は、津波でほとんど破壊されたままで、復活しているのはいまだほんの一部という印象です。
片付けはかなり進んできたようですが、根本的なことが動き出してないかんじで、もどかしいです。


主催者の方にも言ったのですが、再開している飲食店や土産屋もあるので、
ボランティアというより、ふつーにツアーとして、東北支援ツアーみたいなかんじで、
人を呼び込んで、モノを買ってもらう形が増えたらいいんじゃないかと思いました。


もちろん、ボランティアがまだまだ足りない所もあるでしょう。
でもキレイに片付けたって、お店が再開したって、売れなければ、賑わいが戻らなければ、結局街は死ぬしかない。
一般人が被災地に入るとジャマだった時期があると思いますが、
今は人が訪れて買ってくれることで、被災地の支援になるのではないかと思うわけです。



★蛇足


帰りのこと。
東京で人を降ろしたあと、僕、女の子、主催者、の3人で横浜に向かったわけですが、
なんでか僕だけ、頼んでもないのに横浜駅から2分くらいのとこで降ろされた…。(°▽°;ハイ?


僕は横浜駅から歩いて帰るから、1分でも近い方がいいでしょ、とのことで。
あー、おまえジャマだから空気読んで降りろってことね。
7時間も車にのって、途中たくさんぐだぐだ休憩してきたとゆーのに、1分急いで帰って、その1分で僕は何をすればいいのかと。
ついでにGoogleマップで計測したらむしろ4分も遠い場所じゃねえか。(天理ビル裏で降ろされた)
しかもそこからの最短距離は、横浜駅を通って帰るルート。
あほみたいだが、降ろされたとこから横浜駅まで歩いていき、自宅に帰ったとゆうw


えーなに?そんなに僕ジャマだったのか。
まあ別にこーゆー人間はけっこう経験してるけど、久しぶりに見たな。



で、またボランティアしたいかというと… どうだろうな?
お金払って、2日間の自分の時間を捨てて、参加したいだろうか? わからない。
僕には純粋なボランティア精神はないのかもしれない。
必要そうであれば、また考えてみたいけど。


とりあえず おし まい